九頭龍辯財天

九頭龍辯財天

 

御厨子に納められた九頭龍辨財天尊像と大黒天・毘沙門天の二神、眷属の十五童子と男女神等を揃えた立体曼荼羅である。平成十一年、慶派の大仏師松本明慶師により、創建以来四百年ぶりに修復された。

明慶師によれば、この辯財天曼荼羅は、江戸時代初期

の作品。お顔も柔和な品格が漂い、丁寧に制作された秀作である、とのこと。

明治維新の廃仏毀釈の荒波により、日本中の佛像の多くが破壊され燃やされる中、御厨子は、久山家深く、「他言無用」「開門不要」として、平成となるまで百三十年間、その扉を閉ざすこととなった。

戸隠信仰は、あらゆる生命の源である水を司る、龍神への信仰がその起源であり、戸隠神社奥社に祀られる九頭龍神の本地仏が辯財天、水の女神である。

辨財天は、もともと、古代インドのブラフマーヴァルタ地域を流れる聖なる河、サラスバティーが神格化されたと考えられている。辨財天のご真言、オン ソラソバテイ(・・・・・・)エイ ソワカ にサラスバティ河の痕跡が見てとれる。弁舌・学問・芸術などの女神(弁才天)として尊ばれ、その後、八本の御手に弓・矢・刀・鉾・斧・長杵・鉄輪・羂索といった武器を握った、仏法を護る神として崇拝された。

更に、平安時代になると、琵琶を奏でる二臂の姿となるなど、時代の変遷によってお姿も変化。室町時代以後は、水を司る女神として、豊作をもたらす神としての性格に加え、人々のあらゆる願いを叶えるという宝珠や、福をもたらす鍵などに持ち変えたお姿となったのである。

写真の辨財天の頭上、鳥居の奥にそのお顔が見えるのは、宇賀神(顔は白髪の老人、身体は白蛇がとぐろを巻いたお姿)である。宇賀神とは、宇迦之(うかの)御魂(みたまの)尊(みこと)で、米を主食としてきた日本人にとって、真に有難い穀物神である。こうして辯財天は大陸より伝わった佛教と、日本古来の地の神が融合した神佛習合の女神となった。

 

次に、この曼荼羅を構成する、彩も豊かな辯財天の眷属、十五童子である。

それぞれ持ち物を手にし、そのお役目を表している。印(いん)鑰(やく)童子(右手に宝珠、左手に角形に曲がった鍵)・官帯(かんたい)童子(両手に帯)・筆硯(ひっけん)童子(右手に筆、左手に硯)・金(こん)財(ざい)童子(右手に秤糸、左手に秤量)・稲(とう)籾(ちゅう)童子(右肩に稲束、左手に宝珠)・計(けい)升(しょう)童子(両手に升)・飯櫃(はんき)童子(頭上に飯櫃、腰に拳)・衣裳(いしょう)童子(両手に衣裳)・蚕(さん)養(よう)童子(両手に蚕器)・酒(しゅ)泉(せん)童子(右手に酒杓、前に酒壺、左手に宝珠)・愛敬(あいきょう)童子(右手に矢、左手に弓)・生命(しょうみょう)童子(右手に剣、左手に宝珠)、従者(じゅうしゃ)童子(両手に宝珠を盛る器)・牛馬(ぎゅうば)童子(牛馬を牽く)・船車(せんしゃ)童子(右手で船車を曳き、左手に宝珠)。我々の衣食住を満たし、諸々の願いをお聞き届けいただける品々である。

この弁財天曼荼羅が、これからも長く我々に寄り添い、苦楽を共にしながら御利益をもたらしていただけるよう、皆様とともに祈りを捧げてやまない。

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